去る3月27日開催の3月定時取締役会で辞表を提出、4月1日に開催の臨時取締役会で辞表が受理され、代表取締役社長を退任した日本クラウンの前社長、佐藤智則氏が19日午前6時半過ぎ、入院先の病院で亡くなった。1953年生まれで今年還暦を迎えたばかり。思わぬ早世となった。
佐藤氏は1977年に日本コロムビアに入社。90年にTRIADレーベル設立、宣伝・制作レーベル長を経て、98年の(株)ヒートウェーブ設立の中心メンバーとして宣伝本部長や制作本部長を兼務し、00年に取締役社長。01年10月に同社解散と共に退社し、同年12月よりワーナーミュージック・ジャパンに移り、04年に退社。05年2月に当時の西野社長に請われて日本クラウンに入社。社長付執行役員エグゼクティブプロデューサー、同年4月執行役員第二制作本部長、同年6月取締役就任。06年常務取締役第二制作本部長を経て、10年に代表取締役社長に就任した。
そして今回、体調不良を訴えて順天堂病院に入院、その後地元の千葉の病院に転院して療養にあたっていたが、19年朝に急変、還らぬ人となった。
通夜、葬儀など詳細は未定(19日午後現在)。
なお、日本レコード協会(RIAJ)では同社の代表取締役交代に伴って、4月1日付で理事を退任した佐藤氏の後任の理事に日本クラウン代表取締役社長に就任した北島一伸氏を4月19日付で新任した。